アトムの涙



アトムには悲しみという感情プログラムがある。アトムの悲しみは、それを見る者の胸を締め付ける、切ない涙なのだ。
 アトムの最初の悲劇は天馬博士にサーカスに売られることだった。「アトム誕生」「アトム大使」参照。でもアトムは、それが自分がロボットであるから、自分が悪いから売られても仕方がないと思ったのであろうか、涙を流すことなく、ただ残念な様子が伺えるだけである。「今昔物語」では、涙をこぼし売らないことをお願いしていた。
 「今昔物語」オリジナル版では、星江というアトムの母が登場し、アトムがサーカスに売られてから母の死を伝えられる。
救助のために、死体を処理する前に一目会うこともできず、アトムは母を呼びながら泣く。繰り返し、繰り返し。この後、涙でギャグを入れてしまうところが手塚らしさだ。

 「気体人間」ではタマちゃんとお母さんの仲良し振りを見て、自分に親がいないことを嘆いている。ロボットに親は必要ないのだが、どうやら天馬博士は、親の愛を求める気持ちをアトムにプログラムしたようである。
 親ができてからは、親に叱られると泣いたりしている、可愛いアトムである。「キリストの目」では自分の主張が親に聞き入れられず、叱られて泣いて家出するという反抗心まで見せている。これはいわゆる成長の一つか?
 それにしても、アトムは親である天馬博士を見限った経歴がある。しかし、親の言葉には逆らえないプログラムもあるらしい。どうやら、悪人であれば親でも見捨てる正義のプログラムもなされていたのであった。
 「エジプト陰謀団の秘密」では本当の父かもしれない天馬博士に助けられ、名前を聞くことができず小粒の涙をポロリとこぼしている。もし天馬博士が改心して普通の善人になったら、彼を父と呼べるのかもしれない。
 しかし、「ミーバ」でのドア越しの涙。あれは、本当の父との決別の涙。
 さて、「フランケンシュタイン」では、クラスメイトに父を馬鹿にされて、それでもロボットとして人間に手を出すことがかなわず、悔し泣きをしている。このように、「ロボットランド」や「透明巨人」など法律がアトムに立ちはだかる壁となって、アトムを泣かすこともたびたびある。
 この回はアトムにとって我慢に我慢を重ねる連続だった。元凶となる悪人を見つけた時、「もう我慢できません!」と人間であろうとぶん殴り、半死半生の目にあわせたらしい。フランケンが直り、事件が解決に向かうと「先生、ぼく嬉しくて泣き出しそうです」と喜んでいる。
 悲しくとも泣き、嬉しくとも泣く、アトムは感情表現が実に純真で本当に天使のようである。
 また、アトムには心の善悪を見分ける機能が備わっているが、これが結構周囲に理解してもらえず、泣く羽目になる。
 「白熱人間」では、人間のためを思い窃盗をし、正体がばれる。それでもアトムは人間のための決断だったので、勇ましい表情に「もう、うちには帰れないや」と、これまた切ない涙を浮かべている。
 しかし、アトムよ、人間社会はそう白黒と単純に割り切れるものではない。ヒゲオヤジは「お前はまだああいう悪知恵の働く人間と戦うのは無理なんじゃ」と言う。
「電光」や「透明巨人」では頑固な正義に駆られて行動し、反感を買って泣いている。 これだけ泣いておいて、「電光」でアトムは「もし僕が人間のように涙を流すことができたら、きっと今ぼくの目は涙でいっぱいで見えないでしょう」とのたまっている。彼の言う「人間のように」という涙はどんな人間らしさなのだろうか。
 電光が破壊した後、ロボットの友達を失って泣いている。電光だけでなく、プルートゥが自爆して、ダムダムを倒した後も泣いている。戦いや兵器の理不尽さに泣いている。「なぜなぜ…」
 アトムの涙の原因は結局人間である。
 時には、御茶ノ水博士だってアトムを泣かす。「地球最後の日」でお茶の水博士のためにベムとの約束を破る羽目になり、建築中のビルの鉄骨の上で泣く様は、アトムの悲しさをより寂しく物語っている。
 高層建築物の上で泣く場面は「今昔物語─ネバ2号─」にもある。高圧電線の鉄塔の上か?夜の街をバックにシルエットで「クスンクスン」と鼻をすする音が切ない。
 この舞台装置はアトムの悲しみの象徴とも言える。
 極めつけが「青騎士」で、人間に向けて怒りの涙を流している。
 そうかと思うと「宇宙ヒョウ」ではホースから水を噴出すように泣いたり、「ウランちゃん」では部屋をプールにするほど泣いたり、「ゾロモンの宝石」ではダムの放水のようにコミカルな泣き方をすることもある。
 アトムの涙の名場面は「第三の魔術師」。
 アトムやロボットはいつも人間に尽くすために働いているのだが、欲心を起こす人間のために悪用され、時にはロボットも迫害視される。
 田鷲警部と警視総監のやりとりを聞き、「ひどいや、ひどいや、ひどい!ひどい!」と腕を振って抗議し、挙句に「いじわるっ」と大粒の涙をためて責め句を浴びせた。
 ひたすら人間ために尽くしているのに認めてもらえない、切ない涙である。
 いつしか、いつしか、アトムに喜びの涙であふれさせたいと思う。
「小学六年生」に掲載された、姫川版「鉄腕アトム」で、アトムが人間のために自殺するところをケンちゃんが止めてくれました。
そのケンちゃんに感謝を込めて。 

悲しく切なくも
それでも人間のためにがんばってくれるアトムが好きだという方、
よろしければ感想などください。



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